ご挨拶

ラーメン一心 中村剛志 プロフィール

店主 中村 剛志

ラーメン一心の中村剛志[なかむら つよし]です。あなたと、信頼関係を築きたいので、私の全てをお話しします。

私は昔から勉強嫌いで高校受験に3回も落ちた、いわゆる落ちこぼれでした。
しかもラーメン一心を開業する前に二回経営に失敗しているのです。まず一度目は22歳、工場勤めのサラリーマンのときに人の誘いがあり化粧品業界に入りました。とにかく工場とは全く別の華やかな世界で完全に魅了されてしまいました。

それから無謀にも事務所を高岡市に構え代理店として独立したのです。
案の定1年で資金が底を付き失敗しました。大量の在庫の山と借金だけが残りました。

新たな料理の世界。

それで本当にやりたいものは何かと考えると、子供のときから料理を作ることが好きでした。素直にやりたいことをやってみようと、募集雑誌をみてステーキレストランチェーン店に入社しました。
しかしそこはかなり厳しい所で、何度か逃げ出そうとした事もありましたが料理を作るのは私にとって本当に楽しい事でした。
入社して3年目を迎えたころ、徐々に自分の店を持ちたいという思いが強くなっていきました。
そう考えているとき、知り合いが開業を手伝ってくれるという店を紹介してくれました。
当時は26歳、そこのステーキレストランの上司に自分で店をやるのはまだ早いと反対されましたが、それを振り切って某レストランに転職しました。
そこで働いている時、そこの店主からサービスエリアのレストランで別の人と共同経営しないか、という話が来ました。そのときの私は料理でも何がやりたいか今一つハッキリしていませんでしたが、取り敢えずその話にのりました。

ただ実際やってみると24時間年中無休でしたので1年間ほとんど休みなし、さらに共同経営ということもあり私の想い描いているものとは程遠いものでした。
そんなことでうまくいくはずはなく、やはり二年ほどで資金が底をつき辞めることになりました。
また借金を抱えることになり、元のレストランに戻ることになりました。当時は借金取りが乗り込んできて、本当に大変だったのを覚えています。
心も体もズタズタでした。どうしてこんなに一生懸命にやっているのに、どうしていつも駄目になるのだろうと悩みました。やはりダメ人間は結局なにをやっても失敗する運命なんだという思いが何度も襲ってきて情けなくてしかたありませんでした。

ラーメンへの道

とにかく借金を返さないといけなかったので、死にものぐるいで働きました。
時が経ち借金が大分少なくなって気持ちにゆとりが出てきたとき、何気に立ち寄ったラーメン屋で衝撃を受けました。
綺麗とはいえないラーメン屋でそこの店主は行列のお客さんをさばき、余裕の動作で自信に満ち溢れ、しかも真剣にラーメンを作っていました。それが凄く格好良くみえたのです。そのとき私は「ラーメン屋になる!」と決心をしました。
数ある料理の中から「これだ!」というものが見つかった瞬間でした。

それでやりたい気持ちが先走り自宅と店での試作だけでラーメンの修行もせず開業してしまいました。「美味しいラーメンを作りたい」という一心だけでスタートしたので店名がそのまま「一心」になったのです。1997年1月6日一心開業、29歳の時でした。

修行をしていないので、すぐに味の壁にぶつかりもがき続けました。修行しておけばよかったと思いましたが後の祭りでした。
開業3年目、ラーメンから化学調味料を抜いたらどうなるのか?と考え始め徐々に化学調味料無添加に移行していきました。やり始めたものの、これがかなり大変で調味料関係、すべて見直さなければならず、数ヶ月かかりました。完全無化調になってからさらに味との格闘が続きました。なかなか思うような旨みが出ず、試行錯誤が10年以上続きました。

開業4年目に無化調の看板を掲げて、更に煮玉子ラーメンが雑誌に掲載されたことにより、1日2~3食しか出なかった「煮玉子ラーメン」が脚光を浴び1日50食を超えるようになりました。それからの5年間は、テレビや新聞、雑誌、ラジオなど、あらゆるメディアに取り上げられ、売上は面白いように上がり続けて行きました。

リニューアルで心の変化

開業12年目、今まで上がっていた売上が少しずつ落ち始めていました。広告を出してもその時だけで、またすぐに元に戻る状態でした。店舗が古かったので、今風になれば、売上が上がるのでは、という期待を胸に思い切って借金をして店舗の改装をしました。売り上げが上がるという想定での借り入れ返済計画でした・・・ところが!
実は改装後、売上が逆に下がったのです。改装の多額の借金が原因でまた資金繰りがきつくなり一心最大の危機を向かえました。正直もう少しで潰れるところでした。この時、店や商品などよりも、まず自分が変わらないと駄目だ、と真剣に思ったのです。

色々考えた結果まず感謝が足りませんでした。感謝を形で表していなかったというのが正しいのかもしれません。そこでミーティングを重ね理念を作っていったのです。
一心経営理念「私たちはお客様への感謝の気持ちを持ちつづけ、本物の味と心からのサービスを追及していきます。」これをみんなで毎日声に出して共有し守っています。

それから5年後・・・念願の2号店だった、が

理念を元に頑張った結果の5年間は、売り上げが伸び続けていきました。
徐々に「理念」に元づいた想いを広げたいと考えるようになり、2号店出店が頭にちらつき始めました。以前は2店舗というと夢のまた夢でしたが、頑張ればできるかもしれない。と現実的に考えるようになって行ったのです。

人もそろってきたこともあり、思い切って2014年6月、富山市丸の内に「和だし専門店ラーメン一心」としてオープンしました。
内容は、トンコツスープを使わない和だしのみ、後はほぼ本店と同じメニュー構成です。
所が・・・!実際甘くはなく売り上げは本店の半分、いわゆる赤字です。なんとか年を越したのですが、この時人が辞めるという非常事態に陥りました。本店を切り盛りする人がいないので自分が戻るしかない、となると丸の内店は営業できないので閉めるしかないという最悪の状況でした。
その時祈る気持ちで、以前働いていたスタッフに急遽連絡を取りなんとか丸の内店は続けていける状態になりました。

生まれ変わった2号店

本店はスタッフに任せて僕は2号店の赤字脱却に向け、丸の内店に入りました。ですが相変わらず赤字のままでした。
本店、丸の内店の場所が近いため、同じようなメニューでは意味がないと考え、大幅なメニュー変更を試みました。太麺主体の店にして行こうというものです。「つけ麺」を主体に「二郎系」「まぜそば」と太麺のメニューを増やし、逆に今まであったラーメンを絞り込み、本店と丸の内店、共通のラーメンは「煮干ラーメン」のみとなりました。
結果、徐々にお客様が増えていき、売り上げは以前の1.5倍以上になり、丸の内店は息を吹き返しました。
それから、お客様とはもちろんですが、スタッフとの信頼関係がさらに重要になってくると考え、さらにスタッフが自ら何かを成し遂げようとするエネルギーが必要だと思ったのです。
そこで、みんなで「理念」を元に「一心の使命」「共有の目的」とは何なのか、考えました。時間はかかりましたが、全員一致したものがこれです。
【一心の使命】
『お客様と私達の笑顔のために』お互いの意欲と個性を尊重し合い働きやすい環境を作りながら成長し続けていきます。
【共有の目的】
『信頼し合える仲間と尊敬、感謝の気持ちで』一心に関わる全ての人が笑顔になれるように努めましょう!これを今でも毎日みんなで唱和しています。そして何か問題があるたびに照らし合わせて解決しております。

スタッフの旅立ち

その後、私は店長の杉田、中島に丸の内店を任せることが出来、本店に戻り土台となる店に集中することが出来ました。
時は流れ、丸の内店の下にあるお寿司屋さんが移転するという事になり、店長の杉田公司がそこで独立することになりました。独立志望で一心に入ってきたので、予定通りでもあり、おめでたい事でした。
2018年、杉田公司「中華そば つぼみ」オープン!
これを機会に私は一つの店舗に集中したいと考え、丸の内店はそれに伴い閉めることにしました。
その一年後、後を追うように中島さんがラーメン店を開業しました。前々から自分で店を持ちたいということは言っていましたが、いつのまにか具体的な話が進んでいたので驚きました。
2019年7月26日 中島麻起「らぁ麺 麻」桜木町にオープン!
これで、新庄にある2012年にオープンした「煮干し専門 勝屋」細田勝弘
「中華そば つぼみ」杉田公司
「らぁ麺 麻」中島麻起、一心のスタッフ3名が独立しました。
現在も、その3名は頑張って営業しており、私にとっては、協力者・ライバル・良き相談者、心強く宝物でもあり、末永く頑張ってほしいです。

もう一人の独立志望者

現在一心にもう一人の独立志願者がおります。
マネジメントリーダーというポジションでスタッフの指導、麺場を始め営業全般を任せている上田歩空というスタッフです。
独立志望というだけあり、若手ですが責任感がありとても頼りになる女性です。ただ上田に関してはラーメン店ではなく、犬猫の保護に関する事業を起こしたいという、今までにはないパターンではあります。
ですが、結局のところ起業するということは、末端にお客さんがいて、お客さんになんらかの価値を提供し、その報酬が利益となる。どの業種でもこの循環は基本的に変わらないと思いますので、一緒に学んでいけたらいいと考えています。
やはり自分の好きなことに向かっていく姿は見ていて気持ちがいいし私も元気がもらえます。ラーメン店の業務を通じて、いずれ起業できることと信じております。

これからの一心の行方

2021年25周年を機に、これからも一心は守りに入らず、更に新しいことに挑戦していきます。そして小さな失敗は成功の肥やしにし、失敗を恐れず、感謝を忘れず、次は30周年に向けて進んでいきます。
最後に、お客様・スタッフ・業者さん・家族・一心に関わる全ての人が笑顔になれるよう頑張って行くことをお約束します。

ここまで読んでくださいまして、本当にありがとうございました。

2017年1月 化学調味料無添加 ラーメン一心 中村剛志

中村剛志 今までの経過

こんにちは。
最後にプロフィールを更新してから早8年が経ちました。
今回はプロフィールというよりも、今までの経過をお話ししたいと思います。

あれから8年間、色んなことがありました。その中でもコロナは経験したことに無いことで、不安もありながらとにかく必死で、ウーバーイーツ・通販・テイクアウトなどやれることは全てやり切ったと思います。
それでも売上は半分以下になり、苦しい状態でしたがコロナが終息したころには、今まで来てくれていたお客さんが戻ってきてくれて本当に助かりました。
お陰様で何とか乗り越えることが出来、特に常連さんには感謝でいっぱいでした。

その後はドンドンお客様が増え、外国人客も増えてきました。
スタッフも増やさないと回らない状態で、大変だけども嬉しい悲鳴でもありました。

副店長

色んなスタッフが入ってきましたが、その中でも東京のラーメン屋で8年間働いていた高瀬というスタッフが入ってくれたのは、一心にとってとても戦力になり心強く感じました。
実際、高瀬の味への追及は一直線で、私に「これはもう少し甘みがあった方が良いのでは?」など色々気づきを分かち合ってくれました。

これによって、更に味の向上が実現でき一心全体のレベルが上がったのは確かでした。

現在、高瀬は一心4年目になりますが、最初は社員からマネジメントリーダーになり最近では副店長までになっていて一心の中核を担っています。

サブリーダー

また、以前に一心でアルバイトしていてアパレルに転身していた今泉君というスタッフが、3年間のブランクをへて、一心に戻ってきました。
話を聞くと、まだアパレルには大変興味があり、いつかはまたアパレル関係の仕事をしたいとのことです。
自分のしたいことを目標にするのはとても良いことだと思うので、応援していきたいと考えています。ただ、今は一心で頑張りたいというので、その日が来るまで一心で活躍してくれるというのは嬉しい限りです。
ここ最近では、サブリーダーとなり、持ち前の明るさでみんなのムードメーカーとなり一心を盛り上げています。

リーダー

もう一人は大学生の佐々木君です。
2026年の春から東京で就職が決まり、寂しさはありますがとてもおめでたいことと思っています。
以前からサブリーダーを務めていましたが、今回リーダーとなりました。残り少ないですがリーダーで活躍し、就職先で何か活かせることがあれば嬉しい限りです。
リーダーとなるにふさわしく、とてもしっかりとした青年で、営業は安心して任せることが出来るとても頼りになる存在です。

あるとき佐々木君の就職先の上司が一心に東京から来店されたのは驚きました。
なんでも、どのような所でアルバイトしていたか見に来たそうですが、それだけ佐々木君に期待しているのだと感じました。
社会人になっても活躍していくと信じております。頑張れ!

様々なスタッフ

他にも様々な素敵なスタッフに囲まれて、毎日がとても充実していて、楽しく仕事ができています。みんなに感謝です。
最近は特に人の重要性が身に染みています。やはり美味しいものを作っても人が足りずに店が回らなければ、意味がないし、お客さんにも迷惑が掛かります。
ですから、働きやすい環境を更に強化していきたいと考えています。

そのためには、理念にあるように、「感謝・信頼・尊敬・挑戦」を自ら肝に銘じ実行し続けていきたいと思っております。

最後に

実は2024年9月に、個人経営から法人化することになりました。
最初は戸惑いの連続でしたが、1年経ち、ようやくなじんできたように思えます。
会社名は「株式会社一心」です。
法人化で経理面などは大きく変わりましたが、営業などは今までと同様何も変わっておりませんのでご安心ください。

先ずは2027年の30周年を目指し、挑戦を恐れず、感謝を忘れず、頑張っていきますので、一心をどうぞよろしくお願いいたします。

2025年10月 株式会社一心: 代表取締役 中村剛志